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2021.03.11
「住まい」の大切さ
今年もまた、3月11日がやって来ました

15,000人以上の方が犠牲となり、未だに2,500人以上の方が
行方不明となっている東日本大震災から、今年で10年
大きな津波から逃れ一命を取り留めた人達にとっても、さぞかし
長くて辛い10年だったんだろうと思います
東北地方の新聞に、震災前、震災後、現在の気仙沼市の
写真が掲載されていました
2009年
2011年
2020年
三枚の写真を見比べながら、その中での人々の暮らしに思いを馳せると
胸が苦しくなるのを覚えます
豊かで楽しかった暮らしが、一瞬の津波と10日間以上燃え続けた火災で
跡形も無く失われて、10年後になっても未だ以前の賑わいや活気は戻って
来てはいないように思われます
更に写真をよく見ると、2020年の写真の右側に鉄筋コンクリート造の
集合住宅が何棟か造られているのが分かります

震災発生後、住居を失った11万人以上の皆さんは、自治体等が建造した
プレハブの仮設住宅に住んでいました
その後、自身で住宅を建てたり他の地域に移住したりして、仮設住宅の
居住者は少しずつ減少していきました
そして、最終的な受け皿となっているのが災害公営住宅と呼ばれる住宅で
2020年の気仙沼の写真に写っているのもその一つです



災害公営住宅は被災地を中心に計8県で約3万戸が整備されたそうですが
どれも近代的でしっかりした作りの様なので、仮設住宅とは比べ物にならない
安心と快適な生活が得られると思います
こうした生活を得られるまでに、10年もの時間を要したことは、住まいに係わる
仕事を生業とする者として、残念で申し訳ない気持ちになります
また同時に、人間にとっての住まいというものの重要性をひしひしと感じ
それに関わる事への大きな責任を再認識しています
ご高齢の方も多いようですので、新たな環境に慣れるのも大変かとは思いますが
一日も早く「住めば都」となる事を祈ります
「応援します、幸せハートフルライフ!!!」

15,000人以上の方が犠牲となり、未だに2,500人以上の方が
行方不明となっている東日本大震災から、今年で10年
大きな津波から逃れ一命を取り留めた人達にとっても、さぞかし
長くて辛い10年だったんだろうと思います
東北地方の新聞に、震災前、震災後、現在の気仙沼市の
写真が掲載されていました



三枚の写真を見比べながら、その中での人々の暮らしに思いを馳せると
胸が苦しくなるのを覚えます
豊かで楽しかった暮らしが、一瞬の津波と10日間以上燃え続けた火災で
跡形も無く失われて、10年後になっても未だ以前の賑わいや活気は戻って
来てはいないように思われます
更に写真をよく見ると、2020年の写真の右側に鉄筋コンクリート造の
集合住宅が何棟か造られているのが分かります

震災発生後、住居を失った11万人以上の皆さんは、自治体等が建造した
プレハブの仮設住宅に住んでいました
その後、自身で住宅を建てたり他の地域に移住したりして、仮設住宅の
居住者は少しずつ減少していきました
そして、最終的な受け皿となっているのが災害公営住宅と呼ばれる住宅で
2020年の気仙沼の写真に写っているのもその一つです



災害公営住宅は被災地を中心に計8県で約3万戸が整備されたそうですが
どれも近代的でしっかりした作りの様なので、仮設住宅とは比べ物にならない
安心と快適な生活が得られると思います
こうした生活を得られるまでに、10年もの時間を要したことは、住まいに係わる
仕事を生業とする者として、残念で申し訳ない気持ちになります
また同時に、人間にとっての住まいというものの重要性をひしひしと感じ
それに関わる事への大きな責任を再認識しています
ご高齢の方も多いようですので、新たな環境に慣れるのも大変かとは思いますが
一日も早く「住めば都」となる事を祈ります
「応援します、幸せハートフルライフ!!!」
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